ケアヌエヌエ文庫

このページでは、心に響いた素敵な言葉やメッセージをシェアしています。

 

 

バリー・カーズィンさんからのメッセージ
(FBより転写)
 
ダライ・ラマ法王は純粋です。その動機は無私無欲で、疲れを知らずすべての人に利になるように努めていらっしゃいます。私たちの大多数は、入り交じった動機を持っています。心の底に、他者にも自分自身に対しても批判的な態度があります。多くの場合、こうした批判に、気づかないままなのです。それは、自動反射的な癖のように深くしみ込んでいるのです。私たちが他者を批判しているとき、注意を払い、そのことに気づき、歯止めをかけることがとても重要です。
一方で私たちが慈悲の心を育んでいると信じながら、他...方で他者に批判的であるならば、私たちの慈悲は、せいぜい良くても汚れたものになり、最悪の場合は、偽善者であるか、害を及ぼすものになるのです。自分の思考、気持ち、感情、気分に気を配り、チェックするのです。私たちが他者および自分自身を批判しているときは、それを自分から手放し、そのような意味のない、害をもたらす思考や気持ちを追求しないようにしてください。良い人間になるには努力を要するのです。Emaho!
 
 

作家・カート・ヴォネガット

 

友情にあふれた手紙をありがとうございました。斜陽の歳となった(84歳)老人を喜ばせる方法がよくわかっていますね!私は社会の表舞台にはもう出られません。。。今はイグアナみ...たいな形相ですから。
私があなたがたに伝えたいことは簡潔に伝えられます。機知をきかせること、その一言につきます。美術、音楽、歌、踊り、演劇、描くこと、彫ること、詩・フィクション・ルポルタージュを書くこと。。。うまかろうが下手であろうが、関係ないのです。どんなことでもいいので芸術活動をしてください。これはお金や名声を得るためにするこではなく、「自分となる」経験をすることなのです。自分の中に何があるかを見つけ、自分の魂を輝かせる行動なのです。
私は大真面目ですよ!今芸術活動を始めて、そしてそれを生涯続けてください。今すぐ始めるのですよ。ロックウッド先生のおかしな、もしくは素敵な絵を描いて、先生にあげてください。学校から帰ったら家で踊りましょう。シャワーを浴びながら歌いましょう。なんでもいいのです。夕食のマッシュポテトに顔を作ってもいいし、ドラキュラ伯爵の真似をするのでもいいのです。
さて、今夜の宿題です。もしあなたが宿題をしなかったらロックウッド先生があなたのことをよく評価しないことを願います。どんな題材でもいいので、6行の詩を書きます。どんな詩でもいいですが、韻だけは踏むようにします。これはこの宿題のルールであり、ネットがないところできちんとしたテニスの試合ができないのと同じです。この詩を、自分でできる限りのいい作品に仕上げてください。でも誰にもこの詩を書いていることを言わないこと。誰にもこの詩を見せたり、朗読したりしないこと。誰にもですよ。ガールフレンドにも、両親にも、もちろんロックウッド先生にも!です。
その詩を書いた紙を小さく小さくちぎって、いろんな場所にあるあらゆるゴミ箱に捨てていきましょう。あなたは自分が書いた詩に最高の敬意をはらったことになります。あなたは「自分となる」経験をしたのです。自分の中に何があるか見つけ、どのようにしたら自分の魂を輝かせることができるか、体験したのです。
ゴッド・ブレス・ユー!

 

 


「丁度よい」

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
お前にそれは丁度よい

 

 


HOLSTEE社のマニフェスト

 

これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、どんどんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
今の仕事が気に入らなければ、やめなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
人生をかけて愛する人を探しているなら、それもやめなさい:
その人は、あなたが好きなことを始めたときにあらわれます。
考えすぎるのをやめなさい。人生はシンプルです。
すべての感情は美しい。食事を、ひと口ひと口味わいなさい。
新しいことや人々との出会いに、心を、腕を、そしてハートを開きなさい、
私たちは、それぞれの違いで結びついているのです。
自分のまわりの人々に、何に情熱を傾けているか聞きなさい、
そして、その人たちにあなた自身の夢も語りなさい。
たくさん旅をしなさい:
道に迷うことで、新しい自分を発見するでしょう。
ときにチャンスは一度しか訪れません。しっかりつかみなさい。
人生とは、あなたが出会う人々であり、その人たちとあなたが作るもの。
だから、待っていないで作りはじめなさい。
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。

 

 


マザー・テレサの言葉

 

最もすばらしい日は、今日です。

世界で最も強い力は、信仰です。

最も満足するのは、やるべきことをした時です。

最も良い手段は、楽天主義です。

最も効果的な防衛は、微笑みです。

最も快い感覚は、心の中の平和です。

最も早い道は、正しい歩みです。

絶対に不可欠なものは、帰る家です。

最もすばらしい贈り物は、ゆるしです。

最も卑劣な行為は、恨むことです。

最も危険な人は、妬む人です。

最も悪い欠点は、不機嫌になることです。

最も大きな神秘は、死です。

最も幸せなのは、人の役に立つことです。

第一に必要なことは、対話です。

最も大きな挫折は、失望です。

最もすばらしい娯楽は、労働です。

全ての悪の根源は、利己主義です。

最も大きな過失は、放棄することです。

最も大きな障害は、恐れです。

最も易しいことは、間違えることです。

全ての中で最もすばらしいものは、愛です。

 

 

パチャママ・アライアンスの創設者 リン・ツイスト

 

人は「何をすべきか」を知りたがりますが、さらに深くて力強い問いは「私たちはどうあるべきか」です。
私たちは、自らの決断や選択が、今後数百年にわたって生命の未来に影響を与えることを自覚すべきです。
私たちは皆、何らかの役割を持っています。その役割に大小はなく、ただその人らしい役割があるだけです。
その人が自分の役割を果たしさえすれば、ずっと探し求めてきた人生の意味が見出せるはずです。

 

 


エックハルト・トール「ペイン・ボディ」より

 

あなたが体験したすべての感情的な痛みはあなたの「こころ」と「からだ」に住みついています
この感情の痛みに意味を持たせ続ける限りあなたはその痛みから解放されることはありません
その痛みがいつの間にかあなたそのものになっていたことに気がついてください
でも、それに気がつけば痛みから自由になれるのです
感情は「あたま」と「からだ」が出会ってわき起こるもの
感情は「あたま」が考えたことにたいして「からだ」が肉体的に反応したものなのです
思考が自分だと思って、あなたが「今」この瞬間を生きていなければいないほど...
あなたが目覚めて生きていなければいない程その感情はどんどん強くなります
でも・・・あなたがそのペイン・ボディを観察した瞬間・・・
その痛みがあることをしっかりと意識できた瞬間ペイン・ボディと思考のつながりを断つことができるのです
そこに新しい次元の意識が誕生するのです
魂が生きはじめるのです
もうあなたは完全にペイン・ボディの観察者となったのです
もう完全にココロの強さを手にしたのです
あなたは今から、そしてこれからずっと「今」に生きることになるのです
自分が何を感じているのかをしっかりと感じてみて
そうしたらそれはあなたのペイン・ボディからの言葉なのだと知って、その感情を受け止めて...
考えないで それから 決めつけることもしないで
ただ...観察している自分がいるのだと認識すればよいのだから
思考は意識しなければ存在し得ないもの
だけど..意識には思考は必要ないのです
「身を任せる」とは、今この瞬間を受入れること
それは・・・こころの内にある全ての抵抗からはなれていくということ
「身をまかせること」と「あきらめること」を間違えないで
あきらめる・・・そこにはまだ抵抗があります
身を任せることは、すべての抵抗と判断を手放すことなのです
きっと味わったことのないこころ安らかな感覚が訪れてくることでしょう
喜びと至福に満たされるでしょう
そしてその無情の喜びこそが愛だと知ることでしょう

 

 


スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学でのスピーチ

 

世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。 

まずは、点と点をつなげる、ということです。

私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。 

私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

 

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

 

2つ目の話は愛と敗北です。

 

私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

 

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

 

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

 

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

 

 

3つ目の話は死についてです。

 

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 

1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

 

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

 

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

 

ハングリーであれ。愚か者であれ。

ありがとうございました。